2010.12.14 あるべき姿
さて、話をつなぐために切り口を変えてみましょう。
料理人のことを古くから包丁人とも呼びます。
これは何故でしょうか?

料理には「切る」だけでなく「煮る、炊く」「焼く」「揚げる」
などといった様々な仕事があるにも関わらず、です。

私なりの解釈を言うとこうです。
「包丁で切る」  
というのは取り返しのつかない事
やり直しの不可能な事だからです。

未熟な人の前にリンゴやスイカを置くとためらい無くふたつに切ります。
それから幾つにするんだったかを思い出して「う」と考え込みます。
経験者は幾つに切り分けるかを思案してから包丁を入れるのです。
切ってしまったものはくっつけられません。

そうして思案してからスパッと切る  ということを日々繰り返していると
仕事が人間性の形成に影響するのでしょう。
よどみの無い、妥協を許さない いわゆる職人に出来上がっていくわけです。
だから象徴として「包丁」という刃物を挙げている訳です。

これはなにも料理人だけでなく大工さんや塗装工さん、など
職人がすべて同じなんですが「刃物の切れ味」という点でひときわ目立つのでしょう。

ラーメンの話に戻ります。

タイマーで茹でると麦粉臭くなる事が起こりやすいと書きました。
ところが昨今タイマーで茹でなければ勘や手の感触では茹で上げられない
という職人(?)が急増しているのです。

話は「ラーメン嫌い&麺嫌い」からは外れていきます。
もう少し根元に向かってみましょう。

日本人の料理のルーツは和食です。
包丁さばきと聞いて真っ先にお刺身が浮かびますね。
このお刺身を切る時。(引くと言います)

魚のカタチはサク一本だけでも細い部分や広い所、
薄いところや肉厚の所と違っています。
これをそのまま切ると大きさが違いすぎるので
包丁の角度を変えながら切ります。

幅が狭い部分では大きく刃先を左に向け、
幅が広い部分では真っ直ぐに、
高さが低い部分では刃を寝かせ、
高さがある部分では垂直に立てます。

これを常に組み合わせて一手先を読みながらお刺身を切るのです。
熟練の仕事は見るだけで美しいものです。
そこでは「美味しい」は職人の「手」から生み出されているのです。

包丁さばきは魚だけじゃありません。
肉屋さんでも同じです。
一本のロース肉にも幅や太さにムラがありますから職人はそれを計算しつつなるべく同じような面積を切り出します。

ところがアメリカ人は大胆です。
一定の太さのカッターを作りました。
ここに通すと委細構わずぐるりを切り下ろして煙突のような
同じ太さのロース肉が瞬時に出来上がるのです。
こうすると後は厚ささえ決めれば誰が切っても同じ重量のものが簡単にできるのです。
食の工業化です。

日本人もそんなアメリカ人が行き着いたファストフードばかり食べて
頭がアメリカナイズされて来たんでしょうか?
ズブの素人が来たその日からでも出来るようなシステムを備えた
飲食店が増えています。
タイマー茹でをするラーメン店もそのひとつの流行です。

タイマーを使って麺茹でをする店は必ずといっていいほど製麺所さんと
モメます。

麺は生き物ですから極端な話、朝昼晩と茹で上がり時間が刻々と変化します。
どんなに気をつけて保管していてもです。
それを茹でる人が見ながら茹で上げるから食べる人は同じように感じているだけです。

それをタイマーで常に一定時間で茹でるとどうなるでしょうか。
「ウチはいつも同じ時間で茹で上げるのに硬かったり柔らかかったりする」
「これは作り方が悪いからだ」
となるのです。

いったい「美味しい」を生み出すのはどの「手」なのでしょうか?
製麺所さんに丸投げでいいのでしょうか?

製麺所さんは頭を抱えます。
そしてどうすると思いますか?
二分なり三分なりその時間内では絶対茹で伸びない麺を納めるようになるのです。

これは「茹で足りない麺を出す」  と言う事なのがお解かりでしょうか?
そうです。
これもまた麦粉臭いという話になるのです。

うどんではそこの点を工夫した麺があります。
片栗粉を混入した麺です。
早くあがり、麦粉臭さを感じさせない。
なおかつ、硬い分「コシ」があるように錯覚させる。
便利な麺です。

北海道あたりの大手製麺所さんなどでは中華面でもそういった商品を発売しています。
利点は同上です。
おまけにぴたりと茹で上がり時間も同じでほとんど狂いません。

うどんは主に冷凍うどんがその手法を取っています。

でもここで思い出して欲しいのが
「麺とは小麦粉を水で練ったもの」という大前提です。

そんな便利な魔法のような無理願望を叶えたものには必ず
落とし穴があるのです。
飽きるのですね。

手打ちうどんは飽きませんが冷凍うどんは飽きが来ます。
「麺じゃないから」と言えば言い過ぎでしょうが、
そんな例はゴマンとあります。

アミノ酸混入で増量させた日本酒が絶滅に近くなり、
同じく漬物が売れなくなり、カマボコが売れない。
そんな例を挙げたらキリがありません。
味噌、醤油、油、・・・・・・

昔から味を大切にしてきた先人達の苦労を笑い飛ばすように
安易な手抜きにまい進して金儲けを優先させると
必ず天罰がくだります。
顧客が離れるだけでなく、ひとつの産業が霧散してしまうかも知れないのです。

日本はもの作りが生命線だとよく言われますが
それは何も町工場や大企業などの工業の世界ばかりじゃありません。

街角の小さな食堂、蕎麦屋、うどん屋などの食べ物屋だって皆
創意工夫して生き延びてきたのです。

それが崩れ始めたきっかけが化学調味料だったのではないでしょうか。
『これさえ使えば』  と皆が使い始めたとたん各自の創意工夫や
大切な口伝を忘れたのではないか  と思います。

実際に聞いたひどい話では
「自分で野菜炒めを作ると美味しくならないがcook doの合わせ調味料で作る野菜炒めは美味しいから良く出る」

これはある飲食店の店主の言です。
本当の話です。

業務用品に頼る大型施設が衰退したり、包丁の無い巨大チェーン店がつぶれるのも当たり前。
簡単に飽きられるものに手を出すのが間違いです。
「モノ作り」「モノ作り」と人頼みのように連呼する暇があったら
自分達の現場を見直すべきです。

まやかしのような世相でいい訳がありません。

漁業、農業、建設、あらゆる現場仕事を低く見て従事したがらない
そんな今の世相にもつながるものがあります。
もし、誰も顧みなくなり技を受け継がなくなって
今、従事している世代がいなくなってしまったら

後は誰がそれを担うのでしょうか?
金で買う?
いつまでそんなことが出来るのでしょうか?

あらゆる現場で知恵を出し合い、技を磨き、伝え残す。
全ては成長と生き残るために。
そんな大切な現場の精神を忘れてはならないと思うのです。

先の話ではアメリカの大雑把な食の工業化の例を挙げました。
でも、それは南米移民などの程度の悪い従事者にでもできるようにと
仕方なく行われたものでした。

私達日本人が率先して真似るような姿勢ではありません。
正しいあるべき姿をそれぞれの仕事で問い直してみるべきではないでしょうか?
本質を見誤ると命取りになります。

tf 014














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