私たちは料理のレシピなどを書くときや伝える時には
「適宜」とか「お好みで」と書くことが多いのですが、実はこんないい加減な表現もないと思っています。

確かに味付けの基本的な種類と分量を伝えれば後の塩加減はその人の好みに任せるしかありません。
これが「お好みで」と言う事です。

「適宜」とは「適当にやっつけちゃってください」と言う事ではなく
おのずと決まってくるから「見れば判るはず」という場合に使われます。
例えば麺の茹で加減などがそのケースに当てはまります。

こういう事を書いてあるレシピを私たちはTVや雑誌でよく見かけます。
それで目や耳が慣れてしまい過ぎているように思います。
お好み つまり自分が美味しいと感じたなら 何でもOKという
本来とは少し意味合いの違う言葉として使う風潮が蔓延
しているんじゃないだろうかと感じるからです。

>(実はこんないい加減な表現もない)と言うのはまさにそこの所なんです。
美味の壺、ポイントなどというのはそんな一個人の”お好みで”好きズキで決まるものじゃないんですね。
もっと厳然たるものなんです。

例えば塩加減ひとつにしたって塩がぴたっと決まるポイントというのは確かにあります。
それをはっきりと解っている人だけが薄味にした場合でも一定の味を出せると言うわけです。
料理人が自分の好みの塩加減のみに頼って整えているだけなら
自分好みじゃない薄味仕立ての場合では常に同じ味付けには出来ません。

音楽用語に「絶対音感」という言葉があります。
あらゆる音を音階として捉える事が出来るという能力です。
普通の人には単なる小鳥のサエズリや雨音がこの能力に長けた人の耳には全て音階として捉える事が出来るのです。
だから楽器が無くても音符つまり譜面を書く事ができるのです。

幼少時に一度聞いただけの音楽を譜面も見ないでピアノで弾いてみせた 
 などという逸話を持つ大作曲家の話などを聞いた方もいらっしゃるかと思います。
音程を外しまくって唄う人の伴奏を、その外れるキーにあわせてやってのけたなど
常人からすると不思議な感覚ですが、それは確かに絶対的なモノなのです。
これは先天的なものが大きいのですが訓練次第で高めることも出来ます。

そんな絶対味覚を持っているんだぞ  などと大それた風呂敷を広げるつもりはありません。

ただ、「絶対的な美味」というものがあるんだという事を改めて言いたいのです。
そこの土俵には個人のお好みでどれでも結構なんですよ  などという甘やかしはありません。
貴方が美味しいと感じたのなら それが貴方の美味の壺です。
と済ますのは  まさに面倒を放り出したいい加減な言葉なのです。

なぜこんな話を始めたのかというと

最近は寿司や刺身で養殖のマグロが大人気なのだそうです。
鮭や鱒なども天然より養殖が喜ばれます。

そこの辺りを通して
ちょっと異論を言いたいからなのです。
話は味覚の事。
つまり人それぞれの感性なのか、絶対なのか  という危険な話です。

鯵の開きや塩サバもすっかり輸入物が幅を利かせるようになりました。
輸入物の鯵は大型で脂が多く大人気です。
日本での加工地の表示で販売できるので案外輸入物だと解らないで買う人もいるでしょうね。
焼津などの有名産地の表示で流通しています。
そのうち「目黒のサンマ」ならぬ、
「鯵の開きなら長野県産のが一番脂が乗っていて美味しいわよ!♪」
となる場合も起きてくるかも知れません。

さて、そんな風潮の中最近人気の魚で
エ○○○○という魚があります。
名前は伏せておきましょう。
れっきとした天然魚です。
脂が乗って美味しいと寿司や刺身で大人気なのだそうです。
ですから名前は書けません。

以前に私は
「魚に格付けなど不要、それぞれに見合う適切な調理法があれば良い」
と書きました。

実はこの魚。
本やネットを見ても脂が乗っていると書かれていますが、それは脂ではありません。
そのように感じる身肉の質なんですね。
見た目も食味もそうですが、
白身にマヨネーズを加えたようなと言えば伝わりますでしょうか?
舌に脂のような後味が残りますが、それも脂ではありません。
かっちりした身肉の白身なら脂が乗っていても脂の余韻はさわやかなのですが、
これはやや不快感を感じる後味なのです。

ほら!
「そんなのは一人一人の好みなんだからいいじゃないか!#」と
聞こえそうですね。

違います。
何でもかんでも脂さえ乗っていれば美味しい  というのは間違った感覚です。
脂のある無し と 美味かどうか という事をまぜこぜにしないで欲しいのです。

天然の脂の乗った魚を食べて美味しいと感じるのはそれが人間にとって有益な栄養だからです。
脂が乗っていなくても有益な栄養があれば美味しいと感じる味こそが絶対的な美味なのです。

例え脂が乗っていても、それがもし不健全な環境で育ったものなら美味しくないと感じて欲しいのです。
ましてや脂もないのに脂と誤認されているとは!
かつて日本人は世界一魚の味にうるさい人種でした。
不味い脂の魚ならたちまち「しつこい」と感じたはずです。
それが日常的に良くない脂に囲まれた生活を過ごすうちに舌が見分けられなくなってしまっている
そんな人たちが非常に多いのだそうです。

本当に美味しい物を見分け、正しく調理し、正しく食べ、感謝する。
それでこそ命を奪い自分の身肉に置き換えるというある意味残酷で
身勝手なことが許されると思うのです。



脂さえ乗っていれば
という風潮が招いた食品に「ネギトロ」というものがあります。
本来、本マグロの骨に残った身肉を細かく刻んで食べたことから派生した食品です。
しつこい程脂が多かったのでネギを混ぜて包丁で叩いて作ったものです。
お寿司屋さんなどで酒肴にちょこっとつまむには本当に美味しいものでした。

ところが!
そこに目をつけた食品メーカーが何をやったのか というと。
それらしく見えれば魚種は構わずミンチ状に混ぜ、
皆が喜ぶ脂を  とばかりに植物油をまぜて「ネギトロ」という”商品”に
してしまったのです。
そんなキメラじみた物なんか絶対的な美味などと言えるでしょうか?

食材  つまり肉や魚、野菜などの命あるもの
私達を助けてくれるものにもっと敬意と愛情を払うべきではないでしょうか?

さて、この脂が乗っていそうで実は脂ではない魚をフライにしました。
脂が乗った魚なら揚げればふんわりと柔らかくなりますが
案の定硬いフライになりました。

時期によって身質の変化もあるんでしょうが、やはりこれは
少なくともこの時点では脂ではなかった  事の証明ですね。

それをお昼のミニ丼にします。
さて、脂の無い硬いフライです。
困りました。

そこでB級グルメから知恵を拝借する事にしました。
ソース丼にします。
「横手ヤキソバ」の手法を応用して、
こうなりました。

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黄身を潰してソースにからませて食べる横手ヤキソバそのままです。
お陰で今回も美味しくなり、好評でした。
適材適手
この魚の名誉回復となりました。


絶対的な美味といえば
この卵もそうです。

あまりエグイ話は書きたくありませんのでさらりと済ませます。

母体が子を産むと体内に蓄積された汚染物質が子に濃縮されて出てくる
という事を聞いた事がありますか?

私は産科の専門家ではありませんが、これだけは解ります。
ニワトリにろくでもないエサを与え続けて卵を産ませれば
その見返りは卵の中に詰まってそんぐり帰って来ます。
妙に生臭かったり、風味が良くなかったりします。

命を大事に思う事というのは自分であれ他者であれ
それが鶏であれ同じなのですね。
それがぐるぐる回り回って巡ってくるのだなと痛感せずにはいられません。

絶対的な美味を得る為にはまず、命の大切さとそれに対する感謝の心が必要なのかも知れません。

私たちが普段何気なく口にしている食べ物
それは最初から食べ物として存在していたわけではありません。
元をたどればみんななにがしかの命だったのです。

食べ物は命をつなぐ自然からの賜り物。

最近話題に上る事の多い
鯨やイルカ漁の太地にはそれらの霊を慰める施設があります。
また鶏肉を加工する方々は年に一度皆で御参りをします。
卵屋さんの敷地にも卵の慰霊碑が建立されています。

食べる私達もそんな心を忘れないでいたいものです。
お好みで適当に処理していたら酷すぎるでしょう?

美味を希求することは決して贅沢でもなんでもありません。
それは正しい命の在り方、正しい環境を守ることを考える事につながり
私達を健やかに育んでくれるという事に返って来るはずだからです。

合掌。










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