2009.11.29
麺作りは楽しい仕事。

料理をパッと作りお皿に盛りつけてすぐに食べる という作業だけで過ごし
ていると
例えば漬物(冬の沢庵漬けなどのような)、食べるまでに比較的時間を要する
料理を何か特別視しがちになる。

私は手がけないがパンやクッキーなどもそう。

手打ちそば
塩辛
ピザ
ハムなどの燻製

何か特別な作業のように見受けられるかも知れない。
しかし、実際にやってみれば良く解る。
手の仕事に変わりはない。

中華麺作りを「きんぴらゴボウ」に例えてみよう。
乱暴な比喩だとは承知の上。

きんぴらゴボウなんてこうやるに決まってるじゃないか!
 と作れば それは全くその通りのものしか作れない。

当たり前じゃつまらない
退屈なものは「作業」であって「仕事」とは言えない
と思えばそこからがやっと  始まり  となる。
だから手の仕事は時間がかかる。

1、習う。
2、何度か繰り返してようやく同レベルのものが出来るようになる。
3、面白がって盛んに繰り返す。
4、飽きてくる
5、作らなくなる
6、思い返して違う事をやってみたくなる

この1~6までの時間がどれだけかかるかが重要。
だからといって1からいきなり6にジャンプする人は料理人には
向いていない。

こうして6からがやっと仕事と呼べるものになる。

歯応え良くしよう  と思えば 切り方に変化をつけてみたり
柔らかいものにしたければ  レンコンの細切りを混ぜてみたり
ムニュッ とした食感が欲しければ それ向きのコンニャクを
そのように仕込みして加えなければならない            

味にボリュームを出したければ豚肉を入れるもよし
脂身のない牛肉を細切りで加えるのもよし

常備菜としたければ油をサラダ油よりも、鶏油に変えた方が良い・・

つまり自分が望むものに向けて変化をつけてやる 
そして思った通りの結果を出す
それで仕事と言える。

そうして仕事を支配できるようになる。

麺作りも同じ 違いはない。

塩辛作りもそうだった。
誰にも習わなくともこうしたい と望めばそこに立つことが許される。
独自の味を確立できる。

蕎麦もそうだった。
10割の蕎麦の味、歯応え、喉越しの感覚、を確認しながら
ほんの少量の小麦粉を混入する。

途端につながりがスムースになりあっけなくできてしまう。
あのつながらない蕎麦に泣いたのは何だったのか!と呆れる。
だが、代償は大きい。
ほんの少量の小麦粉がこんなにも味の差異をもたらす事に驚く。

その違いは蕎麦湯に最も端的に表れる。

ここでも蕎麦の味、歯応え、喉越しの感覚を確認する。

小麦粉の種類を変えてみる。
薄力から中力そして強力
そう、つまり どれが好きか?
どれを作りたいか?  どれを美味しいと思うか? を自分に問う

答えは最初から出ている
つながらなくてバラバラに千切れてしまった10割蕎麦をそれでも
かき集めて二人で一心になってむさぼり食った最初のが一番だった。
少しづつ長くなった蕎麦をいつくしむようにすすったのが美味しかった。
やっぱり10割蕎麦が美味しい。

でも、世の中には同じ感想を持つ人ばかりとは限らない。
しかし、それを書くと長くなるのでやらない。


要は自分がこうあって欲しいというポイントを押さえて
材料をその方向に収斂していく作業と作り上げる作業の全体は
普通の一皿の料理を作る仕事と同じ  という話。

お玉を持つ手にのし棒を持ち替えるだけ。
大事なのは
どういう要素を持った麺を求めるか?
をはっきりと頭の中でイメージする事

それだけで自分の理想とする麺にまた一歩近づくことが出来る。
プレッシャーを楽しみながら麺を作っている。

麺作りは面白い。




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